お正月は、多くの方々が、神社に参拝をされますね。私も、参拝するのですが、三が日の混雑をさけて、遅めに参拝をさせていただいております。12月の大晦日には、1年の最後の締めくくりとして、感謝の参拝をさせていただいておりますので、新年は、少し遅めでもご容赦いただけるのではないかと、自分でそのように解釈をしておりました。
タイトルにある言葉ですが、これは昔、小林正観さんに著書や講演会を通じて、教えていただいたことです。
神社は、お願い事をしに行くところではなく、感謝をしに行くところです。
神社では、ただひたすら、心のなかで「ありがとう」を言い続けるのがよいかもしれません。私は、心のなかで「ありがとうございます」という言葉だけを、何度も繰り返しています。「〇〇が叶いました。ありがとうございます。」のような理由付けはしていません。それでは、何か物事が実現したから感謝をするみたいな誤解を招きますし、単に「ありがとうございます」だけのほうが、たくさん唱えることができます。
後ろで、参拝を待っている人がいる時は、10回程度にしますが、後ろに誰もいない場合は、1分くらいの間、ただひたすら、「ありがとうございます」だけを唱えています。
「祈り」の本来の意味は、「意」に「宣」と書いて、「意のままに沿う」ことだそうです。「あなたの仰せに従います。あなたが望むように生きています。ありがとうございます。」というのが本来の意味でした。
「願い」は、「ねぎらい」が語源です。「希望を叶えてください。」ではなく、「よくしてくださって、ありがとうございます。」と、感謝するのが本来の意味でした。
「祈り」も「願い」も、語源を辿れば、本来は「夢や希望を叶えてもらうために使う言葉」ではありませんでした。
どちらも、神や仏に対して、「既にたくさんの恵みをいただいております。ありがとうございます。」と感謝を伝える言葉なのです。
神社は、今の自分が、いかに恵まれていてありがたいか、そのことを伝えるために、感謝をしにいく場所です。
Youtubeに、このことについて解説している動画がないか探してみました。「illiちゃんねる」さんの動画が見つかりましたので、ご紹介させていただきます。
「illiちゃんねる」さんの動画 〜神社は、「お願いをするところ」ではなく「ありがとう」を伝えるところ
オススメの本
『もうひとつの幸せ論』(小林正観さん・ダイヤモンド社)
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